VOL.62 10月。 出会いに感謝




相棒猫日記
忘れようにも忘れられない光景がある。
4年前の10月、私の部屋の前で体中の力を振り絞って「助けて」とないていた、 後に「うめ」と名付けることになる小さな小さな子猫を、 はじめて近所の動物病院に連れて行った時のことだ。

子猫を病院に運ぶためのバッグも持たない私は、 とりあえず仕方がないという想いで、猫に籐のかごに入ってもらい、 全体をバンダナで包んで病院へ向かった。
相棒猫日記
夕方、辺りはすでに暗くなっている。
あたたかそうな照明が灯る病院の玄関を目にした時、 間に合って良かったと安堵したことを思い出す。

忘れられないのは、この後。
診療を依頼する私の腕の中の子猫を見た時、先生は、 はっと息をのみ、大きく一歩しりぞいて、さらに、ぐんと体を後ろにそらせたのだ。
その顔には「すごい子を連れて来た」という表情が浮かんでいる。
相棒猫日記
予想もしていなかった先生の反応に少々戸惑いは感じたものの、 その意味について深く考えることはなかった。
そんなことよりも、この腕の中、抵抗することすらできずにいる子猫が元気になれるのかどうか、 ただそれだけが気になっていたのだ。

私の想いが通じたのか、先生の適切な処置のおかげで、 子猫は日に日に元気になり、私を安心させてくれた。
相棒猫日記
この子の生活をもっと良い環境で、という想いがあり、 里親さんを探すつもりでいたが、 いつの間にか私はその子猫と離れることができなくなっていた。
ありきたりの表現ではあるけれど、子猫は私にとって、 何ものにも代え難い大切な存在になっていたのだ。
そして2年後の、やはり10月、「うめちゃんのお友達に」という佐藤さんご夫妻のご好意に甘え、 私はももちゃんを迎えることになる。
大切に育てられたももちゃんに初めて会った時、 私はようやく、うめちゃんを診察する際に、 動物病院の先生がみせた反応の意味がわかったような気がした。
相棒猫日記
私が病院に連れて行った時のうめちゃんは、 白いはずの毛が灰色に汚れ、左目はひどい膿に覆われて開くことすらできなかった。
もう目はつぶれているのではないか、 二度とこの目が開くことはないのではないかと思われるほど、 あまりにもひどい姿だったのだ。
相棒猫日記
おそらく、あんなにひどい姿の子猫が動物病院を訪れることはないのだろう。
保護してくれる人のいない、野良猫としての運命を生きなければならない子猫の大半は、 あれほど痛々しい姿になる前に、人の目にふれることもなく、 どこかで静かに命を落としているのかもしれない。
「連れてくるのが一日遅かったら、この子、死んでたよね」 …何回目かの診療をお願いした時、先生がしみじみと言ったこの一言は、 これから先もずっと、私の記憶から消えることはないだろう。






■前の「相棒猫日記」へ

■次の「相棒猫日記」へ

■「相棒猫日記」の目次へ