VOL.60 おめでとう。ありがとう。
8月23日はももちゃんの誕生日。
ももちゃん、お誕生日おめでとう。
ももちゃんは、ももちゃんのおかあさん猫さんのさくらちゃんにとっても、
一緒に暮らす佐藤さんご夫妻にとっても初めての出産でうまれた。
さくらちゃんの出産を見守った時の、佐藤さんの話を聞きながら、
この世に新しい命が生まれくることの不思議を思い、深く感動したことを、今も思い出す。
そして8月27日は、出会った日から逆算して、私が勝手に決めたものではあるけれど、
うめちゃんの誕生日。
うめちゃんのおかあさん猫さんが、どんな猫さんだったのかは想像するしかないし、
その答えを誰も教えてはくれないけれど、でも、
この世にうめちゃんを誕生させてくれたおかあさんは、
きっと頑張りやさんで素敵な猫さんに違いない。
ありがとう、うめちゃんのおかあさん。
そして、お誕生日おめでとう、うめちゃん。
この誕生日で、うめちゃんとは丸四年、ももちゃんとは丸二年の付き合いになる。
もうそんなに過ぎてしまったのかという気持ちと、もっとずっと長い時間を一緒に過ごしてきたような気持ちと…。
一体、どちらが正しいのだろう。
時に「うめちゃんのママ」「ももちゃんのママ」と呼ばれることがある。
そう呼ばれるたびに、私は、大きな違和感を覚えてしまうのだ。
私は、うめちゃんのおかあさんにも、ももちゃんのおかあさんにも、たぶんなれない。
相棒、仲間、親友…、うめちゃん、ももちゃんと私の関係を表現するなら、たぶんこんなところ。
…兄弟にたとえてみたらどうだろう。
これなら、簡単。
いちばん上のお兄さんはうめちゃんだ。
心がとてもとても広くて、どこまでもやさしいお兄さん。
ちょっと臆病なところはあるけれど、謙虚で慎ましくて、いつも落ち着いていて、
精神的にもきちんと自立できている。素敵で尊敬すべき存在。
次はももちゃん。
とても甘えん坊だけれど、うめちゃんと私に、常に天真爛漫でいること、
自由でいること、正直でいることの素晴らしさを教えてくれる、とても貴重な存在だ。
末っ子は私。精神的には、うめちゃんとももちゃんにすっかり頼りきっている、頼りない末っ子。
うめちゃん、ももちゃんと一緒に暮らしていて感じるのは、
私は何て未熟な存在なのだろうということ。
小さなことに傷つき、悩み、落ち込んで、些細なことで悲しんだり、怒ったり、イライラしたり…。
そんなことを毎日繰り返している私に比べて、彼らの生き方の、何と達観したことか。
ありのままをあるがままに受け入れ、それにしなやかに対応しているうめちゃん、
ももちゃんを見ていると、あー、私も早くこんな風に柔軟な生き方ができるようになりたいなと思うのだ。
私がどんな状態にあろうとも、いつも変わらず、その時その時の、
私のすべてを、そのまんま受けとめてくれるうめちゃん。
彼の心はどこまでも大きい。
私の中の悲しみの部分をいち早く察知して「どうしたの?大丈夫、大丈夫だよ。ぼくがそばにいるよ」
とまんまるのやさしい目で私を見つめてくれるのはももちゃん。
こんな時のももちゃんは決して私のそばから離れようとはしない。
その間ずっと、ももちゃんのやさしさが切ないほどに伝わってくる。
うめちゃん、ももちゃんの存在に、私はどれだけ慰められ、
助けられ、勇気づけられているかしれない。
彼らがいてくれるおかげで、人は常に心も体も元気でいなければならないことに気づかされる。
私の心の動きに、とても敏感なうめちゃんとももちゃん。
私がいつも元気で楽しい気分なら、彼らもきっと、毎日が楽しいはず。
うめちゃん、ももちゃん、ありがとう。
あなたたちが、この世に生を受けて無事に生まれてきてくれたことに、
心から感謝しています。
そして、毎日、私にいろいろなことを学ばせてくれていることにも。
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